なにか特別なことがやりたいならPDCAサイクルを実直に回す

学習というのは、ある意味で訓練と同じようなものだと思っています。

いわゆるPDCAサイクル、っていうのがありますね。
Plan (計画) -> Do (実行) -> Check (チェック) -> Action (反映)
皆さんご存じのアレです。

つまり、何かをやりたい、というとき、
その実行に必要な手続きとか思考方法、発想があって
そのとおりに実行して、
実行したときの差分、上手くいかなかった点をチェックして
次の行動に反映する、というサイクルですね。

これは、なにかを真面目に、上達させたい、というときは
ずっと、つきまとうようにしたほうがいいと思うやつです。

ある程度まとまった貯蓄をしたい、とあなたが思っているのであれば、
「去年は思ったより貯蓄できなかった」という結果になったなら、
その結果を踏まえて今年は「どうすれば思った通りに貯蓄ができそうか」という点を
今年の計画に反映させるほうが絶対にいいです。

そのままだと、今年も「思ったより貯蓄できなかった」という結果になる、
あるいは、反映させたほうが「今年は思った通り、いやそれ以上の貯蓄ができた」という結果になる可能性が高くなります。

あなたが学生だったとして
「今回のテストではあまり良い点が取れなかった。次のテストでは良い点が取りたい」
と思っているのであれば
「今回のテストではどうしたら良い点が取れていたか」という点を
次のテストへの計画に反映させたほうが絶対にいいです。

そのままだと、次のテストも「思ったより良い点が取れなかった」という結果になる、
あるいは、反省させたほうが次のテストは「思った通り、いや、それ以上の良い点が取れた」という
結果になる可能性が高いです。

ところが、世の中にはけっこう「次は次でがむしゃらにやるだけ」っていう人が多いです。

がむしゃら、ってのは良いことのように見えますけど、
この場合は何も考えずにただ安直にやるだけ、
しかも「やるだけ」は「集中して一生懸命やるだけ」という意味でさえもなく、
もはや、「前回と同様に漫然と過ごすだけ」という意味と同じ行動をする、っていう人も多いです。

なぜか、といえば、「これくらいでいいよ」「そこまでして、頑張りたくない」って事だと思います。
ですが、そういうことであれば、あなたのそれ以上の成長は、もう望み薄です。
それは、たぶん自明な事だと思うんです。

でもやろうとしない。
それは「遠い先にはできているだろう」と漠然と思っているにすぎない、と思うんです。

100年先であっても、実際は1年を100回積み重ねているだけです。
1年間でまったく成長していなければ100年後もまったく成長しない、0×100は0です。
ところが漠然と考える人は「苦労しないでもどこかでぐーんと一気に成長してるはず」くらいに楽観視できちゃいますよね。

「次は次でがむしゃらにやるだけ」あるいは「遠い先にはできているだろう」という発想が許されるのは、次のすべてを満たす場合だけに限られると思った方が良いんじゃないでしょうか。

*1. さんざん考え尽くした、分析し尽くした、やり尽くした結果として、それでも次へつなげる対策が出てこなかった
*2. でも、今の分野(貯蓄とか、テストとか)をすすみたい、という強い情熱がある
*3. それ以外の分野に行こうとは全く思っていない

つまり、次の案が出てこない、でもぜひ続けたい、続けなければならない、というケースに限って許される、と、そう思っていい。
次の案がでてくるように頑張る、ということが自ずと「次の計画に反映」されるから、続けることに意味がでてくるわけですね。

そうでもなければ、「たんに漫然と時間をすごした」わけで、何もやっていないことと同じです。

試行錯誤の上でにブレイクスルーがあるんでそこで急成長ができます。
試行錯誤もなく手数も全然人並み以下なのに、突然上手くいくことはめったにないです。

もし「試行錯誤せず手数も少ないのに、突然上手くなった」としたら、試行錯誤して どんどん手数を出していればもっと早く、上手くいっていたはずです。

なにごとも、上達したいのに、なかなか上達できない状態が続いているなら、
立ち止まって、基本に忠実に、なぜ上手くいっていないのか分析する、あるいは
歩きながら分析をすると決める(次の案がでてくるように頑張る)、など
実直にやっていくことがたいせつです。

計画をうまく実行に移せないあなたへ。三日坊主でもかまわない、また次の三日間やれば良い

まだ1年が始まったばかりですが、年始に立てた行動計画がさっそく実行できなかった、という人もいるかもしれないですね。

環境が変わるとまた行動も変わります。

たとえば計画を立てたときはお正月三ヶ日で、まる一日自由な時間だったわけで
あんなこともこんなことも、まだまだいろいろできる自由さがありましたが

いざ、お仕事が始まってみると早速残業なんかしちゃったりで、計画の実行に必要な時間が確保できずに悔しい思いをする人も出てくるんだと思います。

一度実行できなかったら、そこで一気にやる気をなくしてしまう人も実際いたりします。

あーあ、新年早々決めたことを実行できなかった・・・もうダメだ・・・と心が折れてしまって、残りの358日くらいをダラダラと過ごすことに決めちゃった人もいるかもしれないですね。

そういうあなたに朗報です。

新年の計画は年始からきちんと、続けなければならない、なんていう決まりはどこにもありません。

そう、三日坊主になってしまっても、またすぐやり直せば良いんですよね。

たとえば1月7日からはじめて、8日、9日と続けた、でも10日は実行できなかった。三日坊主だ…なんてだめなんだー…などと嘆き悲しむヒマがあるなら、
気分を入れ替えて、また11日から12日、13日とつづければいいんですよね。

そして、14日に実行できなかったら、今度はまた気分を入れ替えて、また15日から実行していけばいいわけです。

こういう風にしていけば、1月は7日からはじめても19日実行できますよね。

一方で、10日に、ちょっとした誤りで実行できなかった、で止めてしまえば3日実行して終わりです。1ヶ月で16日も変わってきます。

当初1月からはじめて3月で終わる予定だった計画が、4月に終わるようになるだけです。三日坊主を続けながらも、なんとか完成まで持って行くことができるわけですよね。

計画だけたてて実行しないより、計画からは少し外れてしまっても、三日坊主を繰り返しながらでも実行してしまうほうがはるかにマシです。

三日坊主でも嘆くことはありません。大切なのは続けようとする意思です。

三日坊主だから計画を立てない、ではなくて、三日坊主だからこそ計画をたてて、きちんと目標を手帳に書き留めて、実行していくことがたいせつなわけです。

目標を手帳に書いてあれば、いつでも気分あらたに再スタートできます。
だから、三日坊主は直す必要がなくて、そのままで実行してしまえ、ってわけです。

そういうことを繰り返すうちに、いつの間にか目標を達成するための行動が習慣になって、いつのまにか無意識のうちに、やるべき事を実行するようになってきます。

むしろ、実行しないとなんだか違和感がある、といったくらいにまでなってきます。

そうすれば、自動的に目標は達成されてしまったようなものです。

計画をうまく実行に移せない、というあなたも足掻いて、あがいて頑張ってくださいね。

振り返り:大目標の修正が必要であるか検討する

最後の振り返りは、「大目標の修正」の検討です。
これまでの振り返りの内容は、昨年のあなたの行動から反省する点や
良かった点を振り返って見つめて、フォーカス、取り上げていくという形でしたが
最後の振り返りは、1年の視野ではなく「何かを成し遂げよう」とするあなたの
十年スパン、あるいはそれ以上の期間にわたって設定している目標に対する
軌道修正をしていきます。

もともと、「目標の立て方」には2通りあります。

・自分の現状をベースに、目指す方向に向かって延長した点を設定するもの
・出口戦略をベースに、10年後に達成する、という点から1/10の中間地点を設定するもの

個人的には後者を目標のベースにするのが適切だと思うのですが、
あまり慣れていない場合は前者をベースとする場合も、あるんだと思います。

出口戦略をベースにする場合、どうしても目標が大きくなりがちです。
ですが、それはあなたが本当にやりたい、というものからスタートしているわけですから
その目標に対しては、真剣に達成に向けて歩み出す必要があるでしょう

自分の現状をベースにして立てた目標は、今のあなたの延長、ということになりますから、
あまり大きな目標にはなりにくいですし、それを達成できたとしても
本当にあなたが達成したいものであったのか、正直疑わしいです。

なお、出口戦略をベースにする際の目標の立て方について、お伝えしたことがなかったかもしれませんので簡単にお伝えしますと、こんな感じになります。

*1 最終的な目標を立てる
*2 その目標を達成するために必要な行動、状態やスキルなどを列挙する
*3 それらの行動、状態・スキルなどのうち、「どうしても必須である」もの以外は消す
*4 残った行動・状態・スキルからの内容を見つめながら、ゼロベースで達成する方法を必死で探す
*5 どうにかして期限内に達成できそうな方法が見付かったら、それを戦略として列挙していく
*6 その戦略のリスクや前提となる点を洗い出し、対応策を追加した上で*2まで戻り計画を補強していく

このような戦略・計画・目標を立てる時は、過去にあなたと同じような立場で、
同じような目標を実現できている人がおこなった行動を参考にする(ぱくる)ことが大切です。
そういう人が居ない、ということなら、イチからの開拓になりますから、
かなり綿密な計画立案が重要になります。

たとえば「芸能人の○○と結婚する」という目標を立てたとします。
演繹法ベースではまぁ、このような目標をたてることはないと思いますが、
もし筋道を作るとしたら、こんな感じの道筋になるでしょうか。これらは実際に、過去に芸能人(女性)と結婚した男性がとったアプローチの例です。
他にも「○○の広告をよく出稿する会社の担当者になる」などの切り口での
アプローチなど、探せばいくらでもあるかもしれませんね。

○○のファンクラブに入る->ファンクラブの中でも実力者になる
->○○のマネージャや所属事務所などに重要な協力を積み重ね、欠かせない存在になる
->○○と直接話しができ、連絡先なども交換できる存在になる
->○○に信頼され、ライバルなどにはない魅力をもった状態になる
->お付き合い、結婚する

遠い道のりだと思います。それを出口戦略にすると、こんな感じでしょうか。
出口戦略のコツとしては、中間目標を常識にとらわれずに立てていくことです。

○○に関する情報収集、個人的に抱えている悩みや不安などをリサーチする
->○○が、ご両親の意見に反発する人ではない前提で、ご両親にとって気に入られ、
あなたはそのご両親にとってなくてはならない存在になるようアプローチ
(あなたが○○のファン、という立場は消して、あくまでご両親の援助者として接する)
->ご両親を経由し、○○の悩みなど(あくまで一般的な年代、立場での悩みとして)に対して、
とても親身に気にかけ、あなたが○○にとって有益な存在であることを示す
->常日頃よりご両親を通じて、家族ぐるみでの交流を深める
->○○に男女の関係を意識させる会話をする
->お付き合い、結婚

あるいは、芸能人○○がご両親の意見に反発するような方であれば、
こういうルートもアリかもしれません

○○の行動パターンを徹底リサーチする
->○○の仕事の終わり、オフの時などに路上でアプローチする (ナ ○ パですね) 。
その際は○○のファンという意識はなくす。○○を知らない前提のほうが都合がいいケースも多い
-> リサーチしていた情報をベースに、あくまで一般論としてのアプローチによって
あなたが○○にとってかけがえのない存在になるようトークする
-> そのまま交流/交際をスタート、連絡にはSNSの鍵垢・裏垢などを使う
-> ひっそりとお忍びでお付き合い、結婚

いずれにしても、このように、大きな目標を立てた上で、
それを達成するために必要な中間目標を、あなたは今年の目標として設定していたはずなんですよね。

今年の目標としていた、その中間目標の達成が遅れている場合は、
その原因について深くチェックする必要があるわけです。
それに加えて、遅れた分だけ目標達成の確率が下がっている懸念があるわけですから
今の目標がまだまだ達成できそうな範囲であるのか、そうでもないのか、という点を
この年に一度のタイミングにだけ、チェックするというのが重要です。
常にこの目標を見直そうとするとブレまくるからです。

いずれにしても、大きな目標を設定して、その見直しをする際は年に1度など、
定期的な見直しを行なうべきです。常に見直す、というのは好ましくないですし
見直すのを忘れていた、という状態も良くありません。

年に1回くらいがちょうどいい、ということでこのような仕組みを作ることをオススメしています。

このために、半日でもいいですので、
誰からも邪魔をされない環境で、たとえばカフェで一人、落ち着いて
自分だけの会議(一人会議)を行ない、将来の大きな目標との差異について確認し、見直しを行なうことも検討したらいいと思います。

何かを成し遂げると心に決めたアナタのための仕組み作りノウハウ

前回は、「何かを成し遂げる」戦略がレベル0のわれわれにとっては
ラクで確実な人生設計になり得る、というお話をしていました。

ずっと不変な状態にしがみつくよりも、それまでに得た経験や
人脈などを糧としてまた、あらたな経験や人脈を迎えて、
新陳代謝をしながら目標に向かって努力するほうがリスクが少ない、ということです。

長らく愛されているラーメン屋さんも、
味をずっと変えずに10年、20年、30年と営業しているわけではなく、
常にその味を少しずつ変えながら、その時々の人からは
「いつも変わらない、ほっとする感じの、安定のおいしさ」と思われています。

逆に、本当にずっと変わらない、同じ味だとお客さんの味覚の変化により
かえって「味が変わってしまった」と思われて、離反される確率が高いそうですね。
少しずつ姿を変えながらも常に前進するほうが生き残れる可能性は高いわけです。

その中で3つのポイントをお伝えしていましたが、
これを実現するために、「準備のためのリソース確保」
「正しくリソースを投下する」という二つの仕組みを作る必要があるわけです。

この点について今日は詳しくお伝えします。
まずは、「正しくリソースを投下する」について。

あなたの時間やお金、体力や集中力をムダなものに投入していては
とても「将来なにかすごいことを成し遂げる」なんて所作はできません。
すごいこと、っていうのは結局のところ技術や成果物の積み上げであるわけです。

すごいこと=コンビニおでんをツンツンしたり、業務用冷蔵庫に入って写真を撮るとか、絶景スポットに、命知らずに分け入って迷惑千万な写真を撮影するとか、そういう、くだらないことではないですよね。

もちろん、そんなことなら積み上げは不要です。でも安易ですし
迷惑なことこの上ないです。そんなことは最初からしないほうがいいです。

ダラダラしていたらあっという間に時間は過ぎ去ってしまいますし
何をしようか迷っているうちに、
想定外のことがあってちょっとあたふた、パニくっているうちに、
ネットのニュースが気になってついつい見てしまい、気になるニュースが連鎖式に紹介されては
ずっと閲覧してしまううちに、
どんどん時間は消えていきます。

コンビニで見かけたスイーツを衝動買いしてしまったり
ネットで安売りだったから、と、普段よりかなり高いランクのお肉を買ってしまったり
スーパーの半額セールにつられてついつい不要なものを「将来使うかもしれないから」と
購入してしまったり…

深夜のテレビの通販番組についつい煽られて、
ふとスマホからAmazonを見ると、テレビよりも安く販売されているのを発見したから、
つい「ラッキー」と思い衝動的に飛びついたり・・・それは私ですね(..;)
…レッグマジック買ったんですけど、結局運動するときに出る「シャーコシャーコ」という音が気になって、
いつの間にか使わなくなってしまい、結局ジモティ経由で小太りな主婦のかたに無償譲渡しました(;´Д`)

連日のように仕事のアクシデントが続くと集中力や精神力が過剰にすり減らされたり
上司に怒られるとイライラしますし、部下にバカにされてもムカつきますよね。
ズタボロになった精神状態を癒やそうとして、SNSの猫動画なんかを見ると、
心の状態は回復するかもしれませんが、相応の時間が消費されてしまいますよね。

つまり、日々の生活はそのまま、大切にしなきゃいけないリソースを
どんどん、別のところに奪われる、それをなんとかガードして、本来投入すべきところへ投げ込む、という
ゲームのようなものですね。

このゲームの必勝法は、「守る」ということです。
「守る」ためにはリソースを奪う人たち、あるいは環境から遠ざかる、
情報の遮断やリソースの事前の移動(お金や時間を先に割り当てておく)といった仕組みを
作っておきます。

それが、「準備のためのリソース確保」になります。

また、「準備のためのリソース確保」には、仕組みを作る時間も含まれます。
あまり慣れていない項目を実行するときには、
予定ごとに「何をどのように実行するか」まで含めておき、具体的に実行できるように
道筋を作っておく、現場では何も考えなくても行動できるようにしておく、ということも必要です。

それができない場合でも、「この時間の最初の5分で、その手順を考える」など、そこまで
含めた時間を確保しておきます。
お金であっても、「このお金をつかって○○を準備する」と決めたらそれは動かさないわけです。
あとで帳尻を合わせようとか、そういうことはまったく考えないことにします。
心の平安を取り戻す作成にしても、たとえば移動時間や行きつけの小売店の黒猫さんに会うとか
決めてしまうことになります。

そうやって、自分の持てるリソースを無駄なく割り振り、その
割り振り方のとおり、計画的に自分のリソースを活用して、投入していきます。
その積み重ねによって「普通の人間にはとてもできないすごい偉業」を、
普通の人間であるあなたが、レベル0のわれわれが、成し遂げることができるようになるわけです。

人間と動物の違い、については多数の議論があると思いますが、
「普通の人間ではできないすごい偉業を、リソース投入の積み重ねによって成し遂げられる」というのも
その大きな違いの一つなんではないかと思います。

人生で「将来何かを成し遂げる」なら知っておきたい3つのこと

前回のお話で、「細々と長い間人生を楽しむ」ことは
実は我々レベル0の庶民には向いてなくて、しっかりとした蓄えのある人などでないと
安心してできない戦略であることをお伝えしました。

安定させるというのは簡単なことのように思えて、実はいろんなリスクを考えると
長期的にみて難しいことになる、ということですね。

それよりも、少しずつ環境は変わりながらでも、なにかを追い求め、追求しながら
成長していく戦略のほうが、じつは実行しやすい、ということになります。

たとえるなら 1,000年 もつような頑丈な建物を作ってしまうよりも、
20年くらいの耐用年数の建物を改修、修正しながら使っていくほうが
やりやすい、っていうことなのかもしれないです。

西洋の建物は石造りで重厚ですが、大きな災害があると壊れてしまいます。
日本の建物は木でできていますが、内部の柱などを定期的に交換しながら、
結局数百年前の姿を留めることができているわけで、それに近い発想なのかもしれません。

今回は「将来何かを成し遂げる」ための戦略についてお伝えします。
この3つのポイントを徹底して守ることで、逆説的に思えますが肉体的、精神的な満足も大きくなります。

1. 質より量が重要
2. 一時的に集中する
3. スクラップアンドビルドに慣れる

1. 質より量が重要

質を追求するあまり、何も手がつかないまま一生が終わってしまった、
一生「準備中」症候群を避ける必要があります。

いつかオレは大きな事を成し遂げるぞ。今はそのための準備をしているんだ

と言いながらもはや10年、20年が経過している人があまりに多いんじゃないかと思います。

大切なことは完成させて公開することですね。
この駄文のように(笑)、クオリティは底辺でもいいので
数をたくさん作って、すべて公開することが大切になります。

なにかを作れば、かならず「次はこうやってみよう」と新しいトライアルに結びつきます。
まったく作らなければ、それこそ改善すべき点さえ何も出てきません
作った上で、それを改善させていく、というアプローチを意識していくと
成長が早いです。

2. 一時的に集中する

毎日30分だけ使って何かを成し遂げよう、とする場合、
クリエイティブな作業の積み重ねというよりも、単調な作業の繰り返しによって
積み上げていく形になると思います。

実行フェーズは細切れでもいのですが、クリエイティブなフェーズでは
まとまった時間で一気に集中してコンセプトや作業手順などをまとめてしまうと
そのあとの実作業がすごく効率的になると思います。

集中するためには一人の時間も必要ですし、
集中するための空間も必要です。

たとえば私の場合、近所のドトールで
クリエイティブな内容は3時間くらいでまとめ上げ、
実際の作業は細切れの時間を使って積み上げていく、というケースがほとんどです。

このような時間・空間は人によって違うと思いますし、私も
もっと良い方法があればそれを取り入れていく事と思います。

時間管理のノウハウを駆使して、できるだけまとまった時間を確保して
クリエイティブな作業を行なう、という習慣を作るようにしてみましょう。

3. スクラップアンドビルドに慣れる

自分で作ったものには、やっぱり思い入れが出てきますよね。
苦労すればするほど、その思い入れの具合も相応に大きくなってきます。
まず最初に作ったプログラムがハードディスクの片隅に眠っていたり、
紙粘土などでクラフトをする方でしたら、最初に作った作品を
残しておいたりする人も多いと思います。

そういう思い出は、あるにこしたことはありませんが、
それにこだわって次の作品が作れない、ということだと困ります。

作ったら、壊してまた新しくイチから作り上げる、それに慣れてしまうと
何かを作ることなんて、毎日の歯磨きよりも簡単になりますよ。
お風呂に入るより作品を作り上げるハードルが低くなるかもしれませんね。

新しく何かをつくるハードルを極限まで低くして、日常の生活の一部にしてしまうことで
おのずと新しいものごとをどんどん無意識に生み出せるようになります。

そうしていくと、ふと「ああ、こういうのも面白いかもしれない」
アイデアが湧き出しますが、多くの人はそれを形にできません。
アイデアを形にするまでに超えられない壁があります。
それを私たちはやすやすと、乗り越えることができてアイデアを具現化できるわけです。

アイデアは思っているだけでは意味ありません。
なにか発明があったとき「あーそれ、オレも考えてたんだよな」と思うことはありますが
形にして公開しないことには、そのアイデアは無価値です。
形にして公開することではじめて、アイデアは生きてきます。

そのようにして、どんどん新しいモノを作り上げていく人になると、
もはや「維持すること」なんて考えなくてもいいですよね。

これがレベル0のわれわれ凡人がめざす人生戦略です。

明日はこれを実現するための仕組みについて、お話します。

人生を「細々とでも長い間、楽しむ」ことに徹するなら知っておきたい3つのこと

前回のお話で、人生を「リソースの配分ゲーム」という観点で捉えると、
目的ごとに戦略が変わってくる点をお伝えしました。

「より長い間、楽しむ」には「極力ムリをしない」という戦略に、
「将来なにかする」であれば、「準備のためのリソース確保」と「正しくリソースを投下する」の
2つの戦略に、それぞれ帰結する、ということでした。

今日はそのうち「より長い間、楽しむ」(「極力ムリをしない戦略」) について、お伝えします。

より長い間楽しむには、できる限りストレスを感じることなく、
日々体調などにも気をつけながら、ムリをせず健康的な日々を過ごすことがポイントになります。

もちろん、企業などにお勤めの方であれば仕事などで日々ストレスを抱えることはあると思います。
その発散についても、大酒を呑む、ギャンブルをする、といったことはなく
ジョギングや映画鑑賞などで簡単に、その日のうちにストレスを取り去ってしまうほうが
良いですね。

「より長い間楽しむ」ためには、この3つのポイントを徹底して守る必要があります。

1. 欲をかかないよう徹底する
2. 多くを望まず粛々と日々を楽しむことができる仕組みを作っておく
3. リスクが存在することを知っておく

1. 欲をかかないよう徹底する

人間ですので、日々かすかな楽しみに浸っている状態になると、さらなる欲がでてくることもあります。

たとえば、成功者と言われている人たちと比較して、思うように人生が上手くいっていない
こじんまりとまとまってしまっている、そういう現状に軽くいらだちを憶える可能性も否定できません。

しかし、この戦略は「多くを望まない」ことが重要です。
焦らない、あくまでこじんまりと生きることを決めたわけですから、それを守ります。
ここを重点的に守ることが、この戦略の鍵です。
言い換えると「足るを知る」を徹底することになります。

2. 多くを望まず粛々と日々を楽しむことができる仕組みを作っておく

より長い間、楽しむ人生にするには「足るを知る」だけでは不十分で、
自分が日々楽しんでいること以外の楽しみから「遠ざかる」必要があります。

人間ですから、生きているといろんな誘惑などがあります。
テレビ上では近くのエリアの豪華ランチの情報や、
豪華客船の情報、セレブ旅行の様子や海外セレブの生活、芸能人の豪遊など
季節でいえば豪華おせちやクリスマスディナーなど、たくさんの情報が
連日公開されています。

「去年買った服を今年も着よう」と思っていてもファッション雑誌を見ると
すでにそれは時代遅れだと引導を渡す、数々の情報が流れています。

もちろんSNS上でもそのような意見は出回ることでしょう。

そのような、新しい価値観をあなたにぶつけてくる相手からは
“敬して遠ざかる” ことが、あなたの日々のささやかな楽しみを守り抜くポイントになります。

具体的には、こんな感じになると思います。

・情報収集先は限定する
・新しい出会いを極限まで減らす
・自分の空間、時間をしっかりと確保する

3. リスクが存在することを知っておく

じつは「長い間楽しむ」ことをしない人が多いのは、この「リスク」を
潜在的に感じ取っているから、だと言えます。

そのリスクとは、
「欲をかかないようにして細々と日々楽しくすごしていたとしても、
急激な環境の変化などによって、今の満足する生活が壊されてしまうかもしれない」
というものです。

そして、今の生活が壊れてしまうと、
蓄えがある程度なければ、そのまま立ち直れない状態がずっと続いていきます。

つまり、「少しでも長く細々とささやかな楽しみを糧に生きる」という生活は
「壊されてしまうかも」という薄氷の上をすこしずつ歩んでいく生活にほかならない、ということですね。

このリスクを一度でも感知すると、とても「少しでも長く細々とささやかな楽しみを糧に生きる」という生活を
安心して続けることはできない、と思います。
蓄えがなければ、そのインパクトが大きいですからね。
そういうときに備えて、保険に加入したり、自分で蓄えをすこしずつ作っていったり、する必要があります。

ただ、保険や貯蓄でまかないきれるわけではないので、
基本的には「壊されない」ように仕組みを整えたうえで
細々と楽しく生きていく、という選択肢を選んでいきます。

それだけの仕組みを整えるのはハードルが高いので、
結局のところ「だれでもできる戦略」ということではなく、
贅沢な戦略なんだと思います。

つまり、結局のところ、凡人であるレベル0の我々がこの戦略を実行するのは
自分の周りの状況に盲目的になっているときだけ、であり
あまり優れた戦略とはいえないと個人的には思っています。

ですので、
「将来なにかするため」に
「準備のためのリソース確保」そして「準備に正しくリソースを投下する」という
人生戦略を選択することを、わたし個人的には推奨します。

明日はその戦略と、それを実行するための仕組み作りについてお伝えします。

頑張る、とはリソースを投入すること

ちょっと、皆さんの生活をそのまま「ゲーム」だと仮定してみます。

前回の投稿でお伝えしましたように、
結局のところ「がんばろう」というのは「リソースを投入しよう」ということになるわけですね。
リソースとは資源、です。

リソースは、経営用語になるのかもしれないですね。
会社でいえば「人/モノ/カネ」になります。
個人でいえばこの場合は、「時間/体力・集中力/金品」ってことになると思います。
有限で、しかも、それを使うことでいろんなことができる、というものです。

皆さんが持っている、時間も、体力・集中力も、お金もそれぞれ有限だと思いますし
それを、1日24時間生きているなかで、どれに費やすのか、というのが「生き方」っていうことになりますかね。

「いつもの電車の時間に間に合わないから、と頑張って走った」、という場合、
これは「いつもの電車に乗るために体力を投入した」、といえますし
「頑張って仕事した」というのはあなたの時間と体力・集中力を仕事に投入した、といえます。
体力や集中力は寝たり休憩したら回復しますし、
定職についてらっしゃる方は月給というかたちでお金も回復、補充されるわけです。
そして時間については皆さん平等に24時間が毎日与えられる、と。

そういうルールの中で、みなさんは、より長い間楽しむため、
あるいは将来何かをするために、あるいは今の一瞬をよりたくさん楽しむために
それぞれ何かにリソースを投入しているわけです。
何もしない、というのも単純に時間を「何もしない」に投入していることになりますかね。

さて、そういうルールで、あなたというプレーヤーはどういう活動をして、楽しんでいるのか、
ということになりますが…

このブログの読者さんであれば、きっと「より長い間楽しむ」または
「将来何かをする」という設定でゲームを楽しまれている方が多いんじゃないかと思うわけです。
今の一瞬をたくさん楽しむため、ということならこのブログは見ないで、
直ちに行動に移した方が良いです。

たとえば「より長い間、楽しむため」ということであれば
リソースを少しずつ使いながら、お金は蓄える(というリソースの投下)ことにして、
自分をいろいろメンテナンスしながら生活していくことに「時間」を費やしていくことに
なるんだと考えます。

体力や集中力は蓄えが効かないので、ムリしない範囲でメンテしたり、
体力や集中力は使うと鍛えられてすこしずつ増えていきますけど、
無茶すると立ち上がれなくなるので適度に、使っていくようにするのが良いんだと思います。

ここでのキー戦略は「極力ムリをしない」ということになるでしょう。

一方、「将来何かをする」には、
その準備のためにより多くのリソースを投下する、
それ以外のことには最小限の努力に留める、そうしながら将来の、
来たるべき時に備える、ということになるでしょう。

つまり、ここでのキー戦略は「準備のためのリソース確保」と「正しくリソースを投下する」
という2つになるんじゃないでしょうか。

ここで出てきた戦略
「極力ムリをしない」、「準備のためのリソース確保」そして「正しくリソースを投下する」
これらの遂行の際は、仕組みを作っておくことで気軽に、効率良く、実行することができます。

それぞれの戦略で、リソースの確保・リソースの投入を効率よく行なうための方法については、また後日お伝えします。

頑張って解決するのは良いことなのか

今週のお話は、すこし極端なように感じる方もいるかもしれません。あくまで、こういう考え方もあるんだなと距離を置いて、聞いていただければ幸いです。

「がんばる」という言葉は、よく使います。たいていは良い意味で使います。
仕事がんばろう、とか、がんばろう日本、とか、いろんなケースで使われていますよね。

でも、おかしいと思いませんか。
人間、たいていラクがしたいものなんですよ。

仕事中に「ラクしよう」というと、同僚や上司から白い目で見られがちです。
なぜ、あまり良く思われないのでしょうね。考えたこと、ありますか?

・ラクをする、ということが怠惰、自堕落な生活、というイメージと直結してしまう
・ラクをする、というのが「サボっている」という連想になってしまう
・ラクをする=悪、こっちは頑張って働いてるんだから、おまえも頑張って働け!と精神論に流れてしまう

こんな具合でしょうか。

でも、みんな、本音はラクをしたいと思っているんですよね。
だから、本当はラクをしたほうがいいんですよ。

ムダなことはしない方が良い。するだけ時間の無駄、労力の無駄。
その無駄に使った労力や時間を、本当に頑張る必要があることに回して、
そっちに頑張るのであれば、非常に有益なんだと思うんです。
でも、頑張る必要がないことは、ラクして過ごせば良いんですよ。

仕事頑張ろう、というのが「本当に頑張る必要があることに頑張ろう」なら良いんですが、
たいていは「ムダな仕事をムダにやっておこう」という程度のものですし
とくに大企業の場合、やらなくても良いことが非常にたくさんある、と指摘する人もいますね。
「そのポジションがそもそもムダでしょ」っていうケースもあると思います。

ムダな会議や稟議の回覧とか、不要な役職とか、お役所の仕事のような
「ただ、それに従事している人を食わせてあげるためだけに存在する仕事」なんてのもありますよね。

収入印紙とか、もはやパソコンのファイルとして渡す場合には
不要なのに、紙の領収書だけ必要という、意味のない感じになっていますよね。

そんなもの、存在自体をなくせば収入印紙の発行とかその保管とかにかかるコストもなく、すっきりわかりやすくなって、それこそ社会としての効率・生産性が増えるとさえ思うんですが…
そこに存在する「利権」「お仕事」のためか、まだまだなくなる気配はありませんね。

その仕事がないほうが、全体的には生産性が高いと思えるのに、なぜか存在する仕事ってありますかね。
皆さんも考えてみると良いと思います。
組織、あるいは制度の面から見た場合、こういうムダなところに「頑張り」が働いていたりしますね。

でも、「頑張ろう」というのが、なぜ、良く思われるんでしょうね。

おそらく、「頑張る」ということが「上手くいく、努力が報われる」という連想をしているからだと思います。

ただ、残念な事実がありまして。
あなたがすごく頑張っていたとしも、必ずしも報われるとは限らないわけです。

皆さん報われない努力はしたくないでしょう?
ということは、努力してはならない、頑張ってはならないケースがある、ということを意味します。

たとえば、「上司が割り振った仕事なのだが、いまのままだと締め切りに間に合わない、
だから頑張って早く終わらせ、なんとか間に合った」というのも、「頑張ってはいけない」ケースなのかもしれません。

なぜか。本来は頑張らなくてもすむはずだったのに、
頑張ることによって問題が隠れてしまうケースがあるからです。
このケースでの問題は「上司の割り振りがヘタ」ってことです。
それが、あなたの頑張りによって、まんまと隠されてしまったわけです。

つまり、このケースでの、あなたの「頑張り」は、”組織のひずみ”を埋めるために存在していたことになります。
もちろん、それは一時的には良いことなんですが、根本の”ひずみ”はなくなりません。

もし、あなたの上司が「もっとがんばれ」と言ったとします。
それは「もっとオレが作ってしまっているひずみを隠してくれ」という構図なのかもしれませんね。

もっと大切なことはその”ひずみ”を直して、なくすことなんじゃないでしょうか。
そのために頑張るのであれば、非常に前向きな、生産的な努力なんだと思いますよね。

こういう「頑張る方向」について、意識してすごしてみると、
意外と面白いことがわかってきます。

「大切なもの」が間違ってたとしても、すぐ修正すればいいだけ

こうやって導き出した、あなたの「本当に大切なもの」ですが
5年後には、かなり高い確率で変わってしまっていると思います。

「本当に大切なもの」は人生をつうじて不変ではありません。
人によってそれぞれ違う、ということは、
あなたの環境が変わったり、人間として成長したり、その結果として
やっぱり、変わってくるのが当然なわけです。

ここで、”オール or ナッシング思考”の人はこんな発想をしてしまいます。

・どうせ変わってしまうのなら、べつに「大切なもの」なんて見つけなくて良くない?
・「大切なもの」が変わってしまうと、これまで積み上げたスキルなどの蓄積がなくなってしまいそうでイヤだ

でも、そんなことはありません。
あまり変わらない場合は、それまでの蓄積がある程度活用できるから、いいですよね。
ガラッと、大きく変わってしまう可能性はありますが、その場合でも、そこまで
築きあげてきた蓄積や人脈は、あたらしい「大切な物」を追求する役にたちます。

もっとも愚かなことは
「いままで、何の気もなくやってきたことが、
本当に偶然に、素晴らしい結果に結びつくといいな。。。」
というように、偶然うまくいくことを真剣に期待することですね。これは、やってはならないことです。

テレビで「激レアさん」ってありますよね。
ほんと、偶然に偶然が重なって、普通の人がすごい立場にまで上り詰めたりします。
すごいですよね、本当に。憧れたりしてしまいます。
でも、あれは「激レア」なケースなんですよ。
あなたは激レアですか?そういう意味であなたとは全然違う立場にあります。

たとえていえば、ダーツがあるとして、
目をつぶって、とくに狙わずにテキトーに矢を投げて、BULL(ど真ん中)に当たるような。
それ以上に確率としては低いんじゃないかと思います。
もちろん、たまたま、あるかもしれないですが、まあ普通は、ないですよね。
そういうレベルの出来事です。

つまり、平々凡々な私たち、レベル0の庶民にはとても、為せる所業じゃないわけです。
滅多に起きることがない出来事が、自分に起きると期待していても、
結局、いつまでたっても何も置きません。レベル0の庶民のままです。
もしかしたら庶民レベルよりもっとひどいかもしれない。
まったく勝ち目のないギャンブルですからね。

もっとも大切なことは
「あなたが大切にしているもの、求めたいものを”狙って”取りに行く」ことです。
その目標が変わったら、また、取りに行けば良いだけです。
それまで進んできたことが、きっと役に立ちます。
すくなくとも「“狙って”取りに行く」精度は、それまでよりも高くなっています

目標が変わったとしても、前よりも高い確率で、正確に狙いを定めることができます。
だから、目標変更を恐れず、どんどん狙って取りに行く」ことを忘れないようにしてほしいです。

時間管理の基本は「大切なこと」を把握すること

一生懸命、時間管理術のノウハウを駆使して時間を作っても、
その作った時間でやっていることがとても、つまらないこと、であれば
実際に「時間管理術を使って時間を作り出す」ことに意味がないわけですよね。

時間を作っても作らなくても、つまらないことをしている点に変わりがないわけですから。

では、「重要なこと」と「そうでもない」ことの区別って何だろう、っていう疑問が出てきます。

たとえばこういうのって、全然重要じゃないよね、って私は思います。

・スマホでゲームする
・だらだらとSNSを眺める
・終電を逃したので始発までダラダラと呑みながら時間をすごす

かたや、こういうのって重要だろうなと私は思います。

・仕事関連の本を読む
・お客さんに会う
・家族との団らん

でも、私が「重要じゃない」と書いたことでも、人によってはとても重要だったり、
逆に、「重要だろう」と書いたことが、人によっては全然重要じゃない、単なる雑務だったりします。

この違いは何か、といえば、人それぞれが持っている「価値観」や「目標」が影響してきます。
つまり、私の価値観で「大切だ」と思っていることや、
自分のたてた目標の達成に貢献するものについては「重要」で
それに影響しないものは「重要じゃない」ってわけです。

逆に言えば、「1分1秒でも長くスマホでゲームをして上達することが重要」という価値観や
そういう目的を持っている人にとっては
「スマホでゲームをする」のは大切なことです。

SNS上で多くのフォロワー(?)さんを持つことを目標、価値観としている場合には
SNSから流れていることをダラダラ眺めるのは重要なリサーチになります。

また、終電を逃してでも一緒に呑みたい友人とは始発までどころか
ふたたび夜になるまで24時間呑んでいても、有益な時間になることうけあいです。

その「価値観」をきちんと知って、「目標」をどのように作ったら良いのか、ということなんですが。。。

いや、単純に「なりたいもの」「やりたいこと」を目標にしたらいいじゃん、と思うんですが
どうも、話しを聞いているとそうでもないようで。

実際、これについてもいろんな本が出ていますよね。
ビジネスレベル0では七つの習慣をベースに話しをすることが多いですが、
ここでは「終わりを思い描くことから始める」という事になっています。

「終わり」というのはあなたの「お葬式」の事ですね。

とはいえ、いつ死ぬかっていうのはホント、わからないので。。。
仮として、期間を区切るしかありません。

たとえば5年後があなたのお葬式、になるとします。
5年後が微妙なら3年後とか、2年後とかでもいいでしょう。

お葬式の場で、どういう言葉をかけられたいのか。
どういう人に葬式に来てもらいたいのか。
どういう葬式を思い描いているのか。豪華なのか質素なのか。
火葬なのか土葬なのか鳥葬なのか散骨するのか。
誰が喪主なのか。その喪主は自分のことをどう思っているのか。

そこを思い描くことから、はじめて行きます。
それが「価値観」ってことになりますね。

そして、

そういう最後にするにはどうすれば良いのか
いまからやるべきことは何なのか

それを「仕事」「趣味」「友人」「家族」「地域・コミュニティ」などなど、
あなたの現在の役割、という切り口で具体化していきます。
その具体化した内容が「目標」ということになります。

そういうフレームで、皆さんもぜひ「価値観」「目標」を具体化していけば、
自ずと「大切なこと」も決まってくるんじゃないかと思います。

とはいえ、そんな具体的な目標とかわかんないよ、という人もいます。
そんな先のこともわからないし、もちろん参列者も多ければ多いほどいいだろうし
べっぴんさんも来てもらいたいし、豪華なほうが質素な式よりも良いだろうし…
などなど。

そういう方は、実は自分の「価値観」がさっぱりわからなくなっているわけです。
日頃から、自分の意見を言えず周りに合わせてみたり、すごく優しいから
自分の考えを持ったとしても、それを押し殺して仲間の意見に同調したり。

そうこうしているうちに自分の考えや、価値観がなくなってしまう人が、
結構な割合でいらっしゃいます。

明日は、そういう人のために自分の「大切にしていること」をあぶり出す方法
お伝えします。