なにか特別なことがやりたいならPDCAサイクルを実直に回す

学習というのは、ある意味で訓練と同じようなものだと思っています。

いわゆるPDCAサイクル、っていうのがありますね。
Plan (計画) -> Do (実行) -> Check (チェック) -> Action (反映)
皆さんご存じのアレです。

つまり、何かをやりたい、というとき、
その実行に必要な手続きとか思考方法、発想があって
そのとおりに実行して、
実行したときの差分、上手くいかなかった点をチェックして
次の行動に反映する、というサイクルですね。

これは、なにかを真面目に、上達させたい、というときは
ずっと、つきまとうようにしたほうがいいと思うやつです。

ある程度まとまった貯蓄をしたい、とあなたが思っているのであれば、
「去年は思ったより貯蓄できなかった」という結果になったなら、
その結果を踏まえて今年は「どうすれば思った通りに貯蓄ができそうか」という点を
今年の計画に反映させるほうが絶対にいいです。

そのままだと、今年も「思ったより貯蓄できなかった」という結果になる、
あるいは、反映させたほうが「今年は思った通り、いやそれ以上の貯蓄ができた」という結果になる可能性が高くなります。

あなたが学生だったとして
「今回のテストではあまり良い点が取れなかった。次のテストでは良い点が取りたい」
と思っているのであれば
「今回のテストではどうしたら良い点が取れていたか」という点を
次のテストへの計画に反映させたほうが絶対にいいです。

そのままだと、次のテストも「思ったより良い点が取れなかった」という結果になる、
あるいは、反省させたほうが次のテストは「思った通り、いや、それ以上の良い点が取れた」という
結果になる可能性が高いです。

ところが、世の中にはけっこう「次は次でがむしゃらにやるだけ」っていう人が多いです。

がむしゃら、ってのは良いことのように見えますけど、
この場合は何も考えずにただ安直にやるだけ、
しかも「やるだけ」は「集中して一生懸命やるだけ」という意味でさえもなく、
もはや、「前回と同様に漫然と過ごすだけ」という意味と同じ行動をする、っていう人も多いです。

なぜか、といえば、「これくらいでいいよ」「そこまでして、頑張りたくない」って事だと思います。
ですが、そういうことであれば、あなたのそれ以上の成長は、もう望み薄です。
それは、たぶん自明な事だと思うんです。

でもやろうとしない。
それは「遠い先にはできているだろう」と漠然と思っているにすぎない、と思うんです。

100年先であっても、実際は1年を100回積み重ねているだけです。
1年間でまったく成長していなければ100年後もまったく成長しない、0×100は0です。
ところが漠然と考える人は「苦労しないでもどこかでぐーんと一気に成長してるはず」くらいに楽観視できちゃいますよね。

「次は次でがむしゃらにやるだけ」あるいは「遠い先にはできているだろう」という発想が許されるのは、次のすべてを満たす場合だけに限られると思った方が良いんじゃないでしょうか。

*1. さんざん考え尽くした、分析し尽くした、やり尽くした結果として、それでも次へつなげる対策が出てこなかった
*2. でも、今の分野(貯蓄とか、テストとか)をすすみたい、という強い情熱がある
*3. それ以外の分野に行こうとは全く思っていない

つまり、次の案が出てこない、でもぜひ続けたい、続けなければならない、というケースに限って許される、と、そう思っていい。
次の案がでてくるように頑張る、ということが自ずと「次の計画に反映」されるから、続けることに意味がでてくるわけですね。

そうでもなければ、「たんに漫然と時間をすごした」わけで、何もやっていないことと同じです。

試行錯誤の上でにブレイクスルーがあるんでそこで急成長ができます。
試行錯誤もなく手数も全然人並み以下なのに、突然上手くいくことはめったにないです。

もし「試行錯誤せず手数も少ないのに、突然上手くなった」としたら、試行錯誤して どんどん手数を出していればもっと早く、上手くいっていたはずです。

なにごとも、上達したいのに、なかなか上達できない状態が続いているなら、
立ち止まって、基本に忠実に、なぜ上手くいっていないのか分析する、あるいは
歩きながら分析をすると決める(次の案がでてくるように頑張る)、など
実直にやっていくことがたいせつです。

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