頑張って解決するのは良いことなのか

今週のお話は、すこし極端なように感じる方もいるかもしれません。あくまで、こういう考え方もあるんだなと距離を置いて、聞いていただければ幸いです。

「がんばる」という言葉は、よく使います。たいていは良い意味で使います。
仕事がんばろう、とか、がんばろう日本、とか、いろんなケースで使われていますよね。

でも、おかしいと思いませんか。
人間、たいていラクがしたいものなんですよ。

仕事中に「ラクしよう」というと、同僚や上司から白い目で見られがちです。
なぜ、あまり良く思われないのでしょうね。考えたこと、ありますか?

・ラクをする、ということが怠惰、自堕落な生活、というイメージと直結してしまう
・ラクをする、というのが「サボっている」という連想になってしまう
・ラクをする=悪、こっちは頑張って働いてるんだから、おまえも頑張って働け!と精神論に流れてしまう

こんな具合でしょうか。

でも、みんな、本音はラクをしたいと思っているんですよね。
だから、本当はラクをしたほうがいいんですよ。

ムダなことはしない方が良い。するだけ時間の無駄、労力の無駄。
その無駄に使った労力や時間を、本当に頑張る必要があることに回して、
そっちに頑張るのであれば、非常に有益なんだと思うんです。
でも、頑張る必要がないことは、ラクして過ごせば良いんですよ。

仕事頑張ろう、というのが「本当に頑張る必要があることに頑張ろう」なら良いんですが、
たいていは「ムダな仕事をムダにやっておこう」という程度のものですし
とくに大企業の場合、やらなくても良いことが非常にたくさんある、と指摘する人もいますね。
「そのポジションがそもそもムダでしょ」っていうケースもあると思います。

ムダな会議や稟議の回覧とか、不要な役職とか、お役所の仕事のような
「ただ、それに従事している人を食わせてあげるためだけに存在する仕事」なんてのもありますよね。

収入印紙とか、もはやパソコンのファイルとして渡す場合には
不要なのに、紙の領収書だけ必要という、意味のない感じになっていますよね。

そんなもの、存在自体をなくせば収入印紙の発行とかその保管とかにかかるコストもなく、すっきりわかりやすくなって、それこそ社会としての効率・生産性が増えるとさえ思うんですが…
そこに存在する「利権」「お仕事」のためか、まだまだなくなる気配はありませんね。

その仕事がないほうが、全体的には生産性が高いと思えるのに、なぜか存在する仕事ってありますかね。
皆さんも考えてみると良いと思います。
組織、あるいは制度の面から見た場合、こういうムダなところに「頑張り」が働いていたりしますね。

でも、「頑張ろう」というのが、なぜ、良く思われるんでしょうね。

おそらく、「頑張る」ということが「上手くいく、努力が報われる」という連想をしているからだと思います。

ただ、残念な事実がありまして。
あなたがすごく頑張っていたとしも、必ずしも報われるとは限らないわけです。

皆さん報われない努力はしたくないでしょう?
ということは、努力してはならない、頑張ってはならないケースがある、ということを意味します。

たとえば、「上司が割り振った仕事なのだが、いまのままだと締め切りに間に合わない、
だから頑張って早く終わらせ、なんとか間に合った」というのも、「頑張ってはいけない」ケースなのかもしれません。

なぜか。本来は頑張らなくてもすむはずだったのに、
頑張ることによって問題が隠れてしまうケースがあるからです。
このケースでの問題は「上司の割り振りがヘタ」ってことです。
それが、あなたの頑張りによって、まんまと隠されてしまったわけです。

つまり、このケースでの、あなたの「頑張り」は、”組織のひずみ”を埋めるために存在していたことになります。
もちろん、それは一時的には良いことなんですが、根本の”ひずみ”はなくなりません。

もし、あなたの上司が「もっとがんばれ」と言ったとします。
それは「もっとオレが作ってしまっているひずみを隠してくれ」という構図なのかもしれませんね。

もっと大切なことはその”ひずみ”を直して、なくすことなんじゃないでしょうか。
そのために頑張るのであれば、非常に前向きな、生産的な努力なんだと思いますよね。

こういう「頑張る方向」について、意識してすごしてみると、
意外と面白いことがわかってきます。

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