ネガティブに流れるより、建設的に実行しよう

昨日の記事のように、ブログやSNSでの、コンテンツの積み重ねのことを言及すると

今やっているネタなんて、つまんないし毎日積み重ねてもだれも見ないだろう
もっとセンセーショナルなテーマを扱いたい。そのテーマを探しているから今は書かない

といった思いが頭をもたげてきます。実は、けっこうあります。こういうの。
なぜかといえば、こういう発想はネガティブの代表だからです。

脳は、今自分が毎日コツコツと積み上げる作業をしていない、そういう状態をいったん
「居心地の良くない状態」と認知したとき、
逆に、「それでも良いんだよ」とぬるま湯状態にする、
自己肯定するための言い訳を、これでもか、これでもかと発想します。

本人の頭の善し悪しでその言い訳の精度、妥当性などは変わりますが、
結局「やらない方向に足を引っ張るもの」であることには変わりません。

これはある意味生存本能なのかもしれません。
たとえば、雪山で遭難したとします。
あたりは雪がちらつき、結構寒くなっています。
身体を動かしても、全然暖かくならない
手持ちの衣類もこれ以上ない
救助はいつ来るかわからない
このまま歩いて人里まで行けるとは思えない
山小屋をかろうじて見つけたが、それでも1週間以上、生きていけるだけの暖を取れる設備ではない
そういうときはだいたい、それでもその山小屋に居ますよね。
その山小屋を離れて、上手くいくイメージが持てないと思いますんで。
その山小屋をベースに、食べられるものを探したり暖を取れるように工夫を積み重ねながら、
救助を待つことになるんだと思います。
どこかに、落ち着けるところがほしい、というのが本能なんですよね。

「居心地の良くない場所」には誰も居続けたくないですよね。
「居心地のよい場所」に居続けたい、と誰もが思います。

そういうのが本能です。だから、仕方がないんです。
「居心地の良いところに居続けたい」という思考がでてくるのは、もう避けられないわけですね。

ですが、この文章を読んだ皆さんは、今から、
その本能に逆らう必要があるケースと、そうではないケースの判方法を身につける
必要があるわけです。

それは、「何もやらない状態で、本当に良いのか?」と自分に疑問を投げかけることです。

何もやらない状態だと、結局、良いネタが思いついた、と思っても、
同じように↑のようなネガティブがすぐにでてきて、また、結局、何も書けなかったりするんですよね。
実は、良い作品とかコンテンツって、とてつもなく面白くないことでも
面白くなるまで繰り返しながら積み上げてきたものなんじゃないか、って最近よく思います。
たくさん積み上げた中から良いところ取りしたら、もう素敵なコンテンツになるんだと思います。

そういうネガティブをポジティブに変えるには、こんな風に発想してみるのがいいです。
コツは「長期のことは楽観的に」考えることです。

今やっているネタがつまらなくても、毎日積み重ねているうちに面白いネタに変えていけるかもしれないし
つまらないネタの世界観が好きになる人がでてくるかもしれない
今は自分が熱中できるテーマについて、文章を書いていると、そのうちもっとセンセーショナルなテーマを
思いつくかもしれない。
そのようなテーマが思いついたとき、日頃から訓練をしておけばすぐに着手できて、
センセーショナルなテーマをセンセーショナルに扱うことができるようになるかもしれない

逆に、良い品質のアウトプットをするコツは “今やっている作業のクオリティについては悲観的に考える” です。
常に楽観的でも、常に悲観的でも、どちらもあまり良いことはありません。
使い分けが重要ですね。

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